森岡健二・山口仲美、命名の言語学、ネーミングの諸相
命名の言語学、ネーミングの諸相。森岡健二・山口仲美、東海大学出版会、1985年9月5日第1刷発行。
目次
第1部 名と名づけ
第1章 名の問題
第2章 名の体系と構造(第一次名、第二次名、第三次以下の名、抽象名)
第3章 名づけの心理、
第4章 効果的な名づけ
第2部 名づけの種々相
第1章 名づけの苦しみ
第2章 名づけの楽しみ―あだ名
第3章 名づけの志向―売薬名(上)
第4章 名づけの志向―売薬名(下)
目次では、同書の面白味は伝わらないので、具体例を書いてみます。日本語の名詞を外国人に説明するに、誠によい教材だと思いました。
P13, 名を知るということは、概念の範疇の関係、つまりそれぞれの名の所属する場所の地図を頭に持っていることに等しい。
第三章名づけの心理には、名づけの意図として、誕生日を記念して。音声・文字の条件から。意味から。人にあやかるため。兄弟の順序から。などと分析されている。
P69, 名づけの意図の一つ、人にあやかる名。「靖」井上靖。「敦」漫画のアッチャン。「春樹」島崎藤村の本名。「旅人」大伴旅人。(例が今となっては陳腐化を感じる。春樹だと、村上春樹だし、野球で荒木大輔、松坂大輔、三浦大輔。水泳と野球の鈴木大地。)
P69 (人名の名づけについて)最近の傾向として、漢字一字の名、万葉かな、「子」のつかない名、かな書き、特別の意味を持たない漢字。
P82-83, 改名の一例として、市町村合併に伴う改名に滋賀県のことが紹介されている。「びわ町」「マキノ町」が登場したとのこと。その後、 「びわ町」は、2006年2月13日に、長浜市、東浅井郡浅井町と合併して長浜市となり、「マキノ町」は合併により2005年1月1日から高島市になった。カタカナ名サミットをやられていたが今は、みんな無くなってしまったやもしれない。
P84, 改名:人名に見られる元服・結婚のような文化的習慣、地名変更に見られる地区改正(江戸から東京へ、市町村合併等)、用語規制に見られる差別撤廃運動、用語改正に見られる国語運動など、大きな文化的・社会的な力が作用する場合に生じると考えられる。
P111, 訴えの表現、2つに注意
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訴えがきくのは、新鮮な感じのする初期の間だけである。
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人の弱点につけ込まないこと。(B映画のことを書いているが、判然としない。著者の森岡氏は例として日活ロマンポルノの題名のことを言いたかったのかもしれません。)
P111, 効果的な名づけ
1、ほかとはっきり区別のつく名前。
2、そのものの範疇が示されている名前(論理性)。
3、そのものの性質がよく表現されている名前(表現性)。
4、使用の目的や場に適合した名前。
5、覚えやすく親しみやすい名前。
6、使いやすい名前(長い名前やいいにくい名前はだめ)。
7、ひびきのいい魅力的な名前。
(ネットのハンドル名などを考える際に参考になりましょう。)
P124-125 学術用語(自然科学系、人文科学系)の命名法
西洋から入ってくる事物概念を、日本語らしく翻訳命名して受け入れる場合。「義訳法」
義訳法には、3つの場合がある。
「対訳法」:在来語(和語、漢語)で置き換えて、名称とする。(噴き井戸、色消し等)
「借訳法」:新しく中国製漢語を借用して名称とする。(太初、範疇、形而上学等)
「新訳法」:新しく和製漢語を造り出して、名称とする。(神経、病院、静脈、海面等)
西洋から入ってくる事物概念を、言語のまま受け入れ名称としてしまう場合。「音訳法」
(アルカリ、カルシューム、インフルエンザ等)
P142, 意味のずれ 「自由」
日本古来の「自由」の意味は、思い通りに我儘勝手にふるまう状態。よい意味で使用していない。翻訳語の「自由」は、社会の圧力、政府の権力からの支配をうけずに、自己の権利を主張する状態、もしくは、他からの拘束をうけずに自分の意志で行動を選べる状態。良い意味をもつ。
「自由が丘」====目黒区成立前は荏原郡碑衾町大字衾字谷畑(やばた)で、近郊農村であった。1927年(昭和2年)8月28日に東京横浜電鉄東横線(現:東急東横線)が開通し、九品仏前駅を設置。同年に手塚岸衛により、自由ヶ丘学園が開校する。1929年(昭和4年)になると目黒蒲田電鉄二子玉川線(現在の東急大井町線。東京横浜電鉄を傘下に入れた)開通により九品仏の門前に駅が開設されることになり、この新駅が九品仏駅を名乗ることになったことから、九品仏前駅は、地名より衾駅に改称することとなったが、新しい地名を採り「自由ヶ丘駅」と改称した。自由ヶ丘学園の名称は駅名として取り入れられるだけでなく当地の通称としても定着し、1932年(昭和7年)10月1日の東京市域拡張による目黒区成立時(目黒町と碑衾町が合併)に東京市目黒区自由ヶ丘となった。また、1965年(昭和40年)の住居表示施行時には「自由が丘」となった。翌年1966年(昭和41年)には、駅名も「自由が丘駅」に改称されている。====
「自由学園」====クリスチャンだった女性思想家の羽仁もと子と羽仁吉一の夫婦によって1921年4月15日、キリスト教精神に基づいた理想教育を実践しようと東京府北豊島郡高田町(現・豊島区)に設立された。1934年に校舎を東京府北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転し、現在にいたる。学生の多くが学園内の寮で生活し、キャンパスの維持管理はとくに危険な仕事を除きすべて生徒の手によって行われている。これは毎日の生活を生徒自身が責任を持って行う自労自治の精神に基づく。文部科学省の学習指導要領にとらわれない独自の教育方法で知られ、たとえば学生による稲作(田植え・収穫)、女子部生徒が学園内農場で野菜を育てる農芸、男子部生徒による酪農(豚・牛を育てる)など、それによって得た給食調理も生徒自身が行っている。====
P143, 柳父章「翻訳語成立事情」(岩波新書)。「自由」、「社会」、「個人」、「近代」、「美」、「恋愛」、「存在」、「権利」、「彼、彼女」
P233-234で胃潰瘍をオランダ語で、ウルユスというのではないかと著者の山口仲美さんは、想像しておられるけれど、オランダ人の友人に聞くと、オランダ語では、“maagzweer”とのことでした。因みに、胃潰瘍を英辞郎で引いてみると、
gastric ulceration《病理》●gastric ulcer《医》〔【略】GU〕●peptic gastric ulcer《病理》●peptic ulceration《病理》●stomach ulceration《病理》●stomach ulcer《病理》●ulcer in the stomach《病理》●ulcus ventriculi〈ラテン語〉《病理》〔【略】UV〕
とのことで、きっとラテン語系なのでしょう。
P264, 「ロート目薬」は、山田安民薬房(現、ロート製薬株式会社)から発売されている。「ロート」は、はしりどころの根を意味する。「はしりどころ」には、漢名「莨菪(ろうとう)」をあてていたので、ここから「ロート」が生じた。つまり、「ロート」の語の出身は漢語「莨菪(ろうとう)」である。「ロート」は、シーボルトによって、眼病手術に欠かせぬものであることが明らかにあれていたので、目薬の名として採用されたのであろう。さらに、この目薬には、図(大正1年の新聞広告(日本の公告美術より))の下の方の絵に見るように、特殊な点眼器が添えられている。それが物を注ぎ込むのに便利な「漏斗(ろうと)」を思い起こさせるので、その意味も掛けて「ロート目薬」と命名したのかもしれない。いずれにしても、「ロート」は、漢語出身の語ということになる。
P295, (あとがき、森岡健二)名の問題は、単に言語学や国語学だけでは解決されず、心理学・社会学・論理学・文学・国語政策にかかわる多様な面をもっている。その後コージブスキーの一般意味論(general semantics)を読むにおよんで、名の問題は人間の深層、すなわち人間の認識・知性・感情・生理・行動・人間関係のあらゆる面に深くかかわっており、極言すれば「人間とは何であるか」という問題であることを教えられた。