加藤秀俊、メディアの展開

現在まで連続する江戸時代文明を感得できる本。旅や読書の指南にもなります。

 

目次

地域文化へのまなざし―『諸国風俗問状答』再読

実証主義の時代―日本科学史序説

探検家の系譜―北方領土をめぐって

知識の整理学―百科事典雑話

叢書と図書館『四庫全書』から『群書類従』まで

メディア・ビジネスのあけぼの―出版業と貸本屋

江戸の「社交力」―自由な「連中」

文化としての公共事業―「旅行の時代」をかんがえる

学問の流行―ひろがる文字社会

隠者の手すさび―「随筆」にあそぶ

タウン・ガイドを読む―都市生態学の系譜

「自由の季節」―「近代」文化史再考

 

司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズを愛読していた時期がありました。この本も同書で出合ったことについて、現地を訪ね、参考図書を渉猟するは楽しいことです。すでに行ったことのある博物館など、あるいは、すでに出会っていた人物や本について、確認できるのも愉快です。内容は、時代の大きな転換として語られる明治維新を、断絶でなく、江戸時代との連続性から深く考え直していこうとの趣旨。

 

先日、同書を抱えて、豊橋、岡崎、津、松坂を探訪しました。岡崎では、家康公400年祭イベントに出会いました。1615年に家康が亡くなって400年の今、徳川時代を再評価しようとの趣旨です。手元に、推進委員会会長の徳川恒孝氏の講演録、「江戸が育んだ日本人の品格」があり、その主張は「メディアの展開」と通じます。イベントは本年、静岡市、浜松市、岡崎市を中心に進められています。なんとも素敵なタイミングです。

 

原書からの直接の文章は、難しく思えますが、なれればすっと理解できることでしょう。紹介されているちょっとした逸話や書籍に著者の幅広い学識と好奇心を感じます。たとえば、トクヴィルの「アメリカのデモクラシー」ではフランス人がアメリカの立派な分析を行った。二宮尊徳の銅像が読んでいるのは「経典余師」らしい。徳川宗春に仕えた横井也有(やゆう)は隠居して鶉衣(うずらごろも)の名随筆を残した。松浦武四郎は北海道の名付け親で札幌を位置づけた。梅棹忠夫著「福山誠之館」。ガルブレイス著「自由の季節」などなど。因みに松浦武四郎は、川喜田半泥子の祖父・石水から支援を受けていたそうです。

 

著者には、ぜひ、続編としての芸術分野も執筆頂きたいものです。

 

つくば周辺でも、水戸藩はじめ、土浦藩、佐倉藩や古河藩等々、徳川幕府の老中を務めた藩主を出しています。この方たちは、蘭学を始めました。古河の殿様は雪の研究をし、家老はオランダに軍事学を学んだ。佐倉では順天堂病院のルーツや義民・佐倉惣五郎に出会いました。栃木県真岡市二宮では、二宮尊徳に出会いました。尊徳さんはマイクロファイナンスをはじめ、かんがい排水事業を進めています。 井澤弥惣兵衛は、飯沼新田の干拓を行っています。結城には水野忠邦の墓。水海道では千姫のお祭り。小貝川の傍らの茨城県つくばみらい市上平柳には、間宮林蔵の生家と博物館もあります。

間宮林蔵資料館では、そばに駐車したらば、農家の方から、そこではない向うだと遠くの駐車場を指示されたものですから、近所には愛されていないかもしれないとの印象を持ちました。

 

つくば市谷田部(やたべ)では、からくり伊賀七に出会いました。利根川を下って佐原は、伊能忠敬のゆかりの地です。茨城県常総市法蔵寺裏手の鬼怒川沿いには、怪談の累ヶ淵ゆかりの地があります。館林では、犬公方の徳川綱吉、柳沢吉保と田山花袋(江戸時代ではないが貸本屋奉公で同書に登場)に出会いました。行方(なめかた)には芹沢鴨の生家があります。なんとも徳川時代の活力を感じる地域です。

 

昭和の時代にこのあたりで、博物館や資料館を作った先人は、お城型にこだわったようです。常総市石下やかすみがうら市歩崎の資料館はお城にしています。

 

因みに同書で、よく参照される佐竹氏は、戦国時代、常陸で勢力を拡大し、のちに秋田に転封されています。常陸平氏の国人領主たちが佐竹氏に虐殺された「南方三十三館の謀殺」という話を先日知りました。

 

「メディアの展開」に紹介されていた、「福山誠之館」が梅棹忠夫全集第七巻にあり、図書館で読んできました。いなかくさい神辺に菅茶山のような光る人のいることの不思議、頼山陽の不良ぶりなど、以前のリンクでのやり取りと同じようなことがのべられて不思議な偶然です。また、江戸と明治をつなぐ文明論を述べられています。さすが加藤さんの先輩。学の継承と発展を感じて感動しています。1956年江戸開府500年祭、1959年名古屋開府350年祭も紹介されています。(61日)

 

現在の職場の近くに、つくば市今鹿島という地名があります。源義家が奥州へ向かう際「常陸の国には鹿島神宮という軍神を祀る神社がある。ぜひ参拝したい」としたが、ここからはるかに東の海の近くであることを知ると、馬を降りて東の方を向いて戦勝祈願したと伝えられえる。それ以来、この地を今の鹿島、今鹿島と呼ぶようになったという。そうです。

626日)

 

自由の季節 ガルブレイス著、鈴木哲太郎訳。1961513日第一刷発行、岩波書店。翻訳者のあとがきには次の通りにある。本書の題名(原書の題名は、ザ・リベラル・アワー)は、かつて民主党の領袖(現在国連大使)スティーブンソン氏が、「大統領選挙の直前には、コチコチの保守派でもリベラルな心で現代の問題について思いをめぐらすひとときがあるものだ」と述べた言葉を引いてつけられた。・・・アワーは「不特定の短い時間」という意味であるから、「ひととき」と訳するのがぴったりする。したがって原書の題名は、直訳すれば、「自由主義的なひととき」ということになる。(65日)

 

NHKFMの日曜昼過ぎの番組、「トーキング ウィズ松尾堂」に先輩の竹村公太郎さんが出られていた。日本の河川などの地形は、江戸時代にこしらえられたもの。梅棹忠夫の文明論の著作の紹介など。なんと、「メディアの展開」に通じるではないですか。梅棹忠夫さんの本については1957年ごろのインドシナ探検について書かれた「東南アジア紀行」は、別の方に勧められて、2001年のメコン河委員会赴任前に、読んでいました。また、先日「福山誠之館」を読んだばかりです。講談社学術文庫から出ている「日本探検」に載っていますね。GRIPSの学長の白石隆さんが「梅棹忠夫選集」で福山誠之館を取り上げて解説されているのにも出会いました。なんとも素敵な符合です。(67日)

 

サントリー美術館でやっている、尾形乾山展に行く機会がありました。乾山(寛文3年(1663年) - 寛保362日(1743722日))の陶芸は、富本健吉や、バーナードリーチに継承されていることを知りました。乾山は後年、下野の佐野で過ごしたこともあるらしく北関東との縁を感じます。(68日)

 

川喜田半泥子の評伝、おれはろくろのまわるまま、千早耿一郎著を読んでいて、横井夜雨(よこいやう)に出会いました。この方、実業家。名古屋生。本名半三郎。慶應義塾卒業後王子製紙に入社、参与を務める。その後樺太に山林会社を設立する。益田鈍翁を私淑し、茶の湯を能くする。茶会記の研究及び古陶の研究家としても知られる。とのこと。横井也有(やゆう)を最初は「やう」を読んでいました。夜雨も名古屋の人だったそうで、きっと也有にあやかったのでありましょう。陶芸家の友人は、根津美術館で、慶応大学茶道部の世話を長いことしていました。伝統を感じます。(69日)