桜田美津夫 著 物語 オランダの歴史 大航海時代から「寛容」国家の現代まで、中公新書、2017.5.25

桜田美津夫 著 物語 オランダの歴史 大航海時代から「寛容」国家の現代まで、中公新書、2017.5.25

友人にオランダ人夫婦がいるので、彼らの背景、さらには、治水対策の先進国でもあり、その成り立ちを理解しておこうというのが手に取った動機。

 

メモ:

P38:ジュネーブの「宗教改革の壁」。:

<スイス・ジュネーブでカルヴァンが宗教改革で活躍した町であることを知りました。>

P88:ステフィン(1548-1620)はその著作をオランダ語で出版し、オランダ語を学術語として広めた。オランダ語こそ物理学や化学などの研究にふさわしいというのが彼の見解だった。「子孫」、「血統」、「比例した」、「戦略」、「直角の」、「平方根」等。

P125:ルイ・ボナパルト(1778-1846)。ナポレオン1世にオランダ国王(1806-1810)として選ばれる。「被災者の父」という尊称を得ている。1807年のハーグでの爆発事故時に、自ら精力的に救援活動の指揮をとり、生き延びた人を慰問した。、1809年のゼーラントで発生した大洪水時にも避難住民を励ました。

P165:オランダ語をうまく訳したので、結膜、角膜、網膜、と膜の概念で整理できた、これが、英語だと、conjunctiva, cornea, retina になってしまって、~膜、なる概念整理が出来なくて、適訳を付けるのが難しくなっただろう。

P227:第9回オリンピック・アムステルダム大会(1928.7.28-8.12)

P228:世界恐慌「暗黒の木曜日」1929.10.24

P238:アンネ・フランク(1929-45) アンネの日記(1947出版)

ドイツから、オランダに避難したユダヤ人家族の一員でした。1944.8.4連行される。ノルマンディー上陸作戦のDデーは1944.6.6。それから連合軍はでライン川の橋の奪還をめざし、「マーケット・ガーデン作戦」でドイツの防衛線を一気に突破しようとした。しかし、連合軍は9.17アルムネで敗北し、連合軍のオランダの開放は、1945.3になってしまった。

P261:マーシャルプランによる巨額の援助(1948-52)

P263:1953年の大洪水で2000平方キロメートルが水に浸かる。オランダ語でDe Ramp「あの災害」と呼ばれている。

P267:デルタ計画(1957-86)、1.ゼーラント州を構成する島々を互いに繋ぎ合わせ、海への出口を堤防で閉じて背後の水域を淡水湖とすること、2.漁業資源を守る必要がある場合は可動堰を築いて、水害の恐れが生じたときのみ閉鎖すること、3.アントウェルペンとの水運を確保する必要があるウェステルスヘルデでは河口を閉め切ることはせず、川に沿って特別に頑丈な堤防を構築すること、

大土木工事はゼーラント州の人々に仕事を与え、また工事完成後は交通の便が飛躍的に向上し、ロッテルダムをはじめとする商工業中心地への通勤が便利になった。

P281:サッカー選手でスペインのFCバルセロナ監督も務めたヨハン・クライフ(1947-2016)

 

目次

第1章 反スペインと低地諸州の結集―16世紀後半

第2章 共和国の黄金時代―17世紀

第3章 英仏との戦争、国制の変転―17世紀後半~19世紀初頭

第4章 オランダ人の海外進出と日本

第5章 ナポレオン失脚後の王国成立―19世紀前半

第6章 母と娘、二つの世界大戦―19世紀後半~1945年

第7章 オランダ再生へ―1945年~21世紀