54. 増田弘著、マッカーサー、「フィリピン統治から日本占領へ」中公新書、2009.3.25

 読み終えました。読みやすさと、著者の造詣の深さに感動しています。今年出会った中で一番の本といえます。バターン、コレヒドールには、フィリピン在住当時出かけたことがありました。観光客を欧米系と日本人とに確実に分けて案内していました。日本人向けは、マリンタ・トンネル、日本人の慰霊碑、みあげモノなどが中心でした。戦闘の話は少なかった。同書は、新憲法成立の経緯や、朝鮮戦争のことが簡潔にまとめられており、現在の状況の背景が深まると思いました。

メモ:

 P318-320、

 9月2日、東京湾上の米戦艦ミズリー号の甲板で歴史的な日本降伏調印式が挙行された。(中略)歯に衣着せぬハルゼーは「ちっぽけな国の形容しがたいほどちっぽけな代表団11人が、まるでチンパンジーが人間の服を着た格好で調印した」と辛らつに述べている。 <映画「猿の惑星」のルーツはここにあるのかもしれない。サルは、中国人や、日本人のイメージなのかも>

 P412、

1948年10月、日本の掃海隊は、朝鮮海域の機雷除去に強力することになった。この仕事は秘密裏に行われ、「海上自衛隊」の誕生に一役買うことになる。<海賊と呼ばれた男、に出てきた、海軍の石油タンクに潜り込んで、石油をさらった男たちの活動を連想させます。こういった頑張りの一つ一つが戦後の復興をささえたのでありましょう。掃海作業も、啓開との言葉を使うとしりました。>

 P43、

フランシス・ロックウェル (Francis W. Rockwell)海軍少将。

 <私は、マカティにあるロックウェル地区のコンドミニアムに住んでいました。発電所の跡地で、パッシグ川が望めました。>

P331、1976年(昭和51)年末までの引揚者総数は、軍人311万人。民間人318万人の合計629万人に達した。<徹子の部屋に市田ひろみさんが出てられた。満州からの引揚者だとのこと。身近にも引揚者がたくさんおられる。600万人を超える人々だったわけである。>

P359、改正選挙法が1945年12月17日に公布。婦人参政権が認められた。

 

 

目次

 第1章 フィリピンとの邂逅

 第2章 バターンボーイズの誕生

 第3章 日米開戦前夜からマニラ脱出まで―一九四一年一〇月から同年一二月まで

第4章 マニラ陥落と第一次バターン攻防戦―一九四二年一月初旬から二月初旬まで

第5章 コレヒドール島脱出計画―一九四二年二月初旬から二月下旬まで

第6章 マッカーサー一行のコレヒドール島脱出―一九四二年二月下旬から三月中旬まで

第7章 第二次バターン攻防戦とバターン“死の行進”―一九四二年二月初旬から五月上旬まで

第8章 オーストラリアからフィリピンへ―一九四二年三月から一九四四年一〇月まで

第9章 フィリピンから日本へ―一九四四年一〇月から一九四五年八月まで

第10章 日本の非軍事化・民主化―一九四五年八月から一九四七年一二月まで

第11章 ワシントンの対日政策転換とマッカーサーの抵抗―一九四八年一月から一九五〇年六月まで

第12章 朝鮮戦争とマッカーサー解任―一九五〇年六月から一九五一年四月まで

終章