ガルブレイス、自由の季節
自由の季節 ガルブレイス著、鈴木哲太郎訳。1961年5月13日第一刷発行、岩波書店。
全250ページ
筑波大学の図書館で借りた。
翻訳者のあとがきには次の通りにある。
===本書の題名(原書の題名は、ザ・リベラル・アワー)は、かつて民主党の領袖(現在国連大使)スティーブンソン氏が、「大統領選挙の直前には、コチコチの保守派でもリベラルな心で現代の問題について思いをめぐらすひとときがあるものだ」と述べた言葉を引いてつけられた。・・・アワーは「不特定の短い時間」という意味であるから、「ひととき」と訳するのがぴったりする。したがって原書の題名は、直訳すれば、「自由主義的なひととき」ということになる。===
以下の海外援助に関して述べた点は、昨今の日本の状況を考えると隔世の感がある。こういった自由の季節が終焉してきていることを感じている。
P27: 肯定的な美徳を示す最も重要な方法は、いうまでもなく、あまり幸運に恵まれていない国々に対する積極的な強力な援助計画をもつことである。これは国内経済が成長し拡大したからといって自動的に出てくるわけではない。ほかの国の人を援助するためにその一部を使おうという決心がなければ、われわれの生産物をみな自分で消費してしまうこともできるのだ。ここ二十年にわたって、われわれは一部の資源をこの目的のために使うことを決め、この決定のおかげでゆたかなむくいを得てきた。もし第二次大戦いらいわれわれが自分たちだけのたのしみと福祉のために投資することに満足して、世界のほかの国をほったらかしておいていたとすれば、世界におけるわれわれの現在の立場はどんなであったろうか。海外援助の批判者たちはそれを想像してみるがよい。より不運な国をたすけるのはより富んだ国の義務であるということは、現在の国際関係における慣行の一つになっている。後世の歴史家は、この点でわれわれをほめてくれるであろう。
しかし、海外援助を社会の質の表示として――その社会の寛大さと同情心の指標として、したがってまた尊敬を受ける権利の指標として――みることができないために、われわれは海外援助の有用性をひどくそこなってきた。無知で近視眼的な人たちは、海外援助は全く利己的なことと考えるべきだといつも主張して譲らなかった。ジョン・B・ホリスター前海外援助局長は、退職してからまもなく次のようにのべた。「ICAの事務を処理するにあたって、私は一つの指導原則をもっていた。提出されている一つ一つの案は、次のようなただ一つの基準によってふるいわけられねばならなかった。すなわち、「この目的のためにかねを支出することはアメリカの安全保障を高めるであろうか?」という基準がそれであった。私の唯一の関心事は、昔も今も、我が国自身の利益である。」これは自らを傷つける偽りの言葉である。われわれが海外援助を与えてきたのは、それが寛大で正しいことと思ったからであり、また、ほかの国がつらい生活をしているのにアメリカはこんなに裕福だという罪悪感も多少まじっていたからである。ホリスター氏のようにいうのは、援助を受ける国に対して、お前の国はわれわれにとっては将棋の歩みたいなものだというのにひとしい。誰でも歩のようになりたいと思う人はいない。その結果、援助によって進めようとしている競走における援助の有用性をひどく傷つけることになっているのだ。
海外援助はわれわれの社会の質をあらわすものだというふうな見方をとれば、よい社会の目標にこだわるあまり、援助が便宜主義や偏狭に流れているという宣伝効果をもってはならぬ、ということもわかるであろう。このことは、人民の敵である腐敗した専制や反動的な少数独裁に援助を与える際の問題である。頑迷な人は、このような援助も戦略的に必要なのだといっていつも弁護する。最近ヴェネズェラとキューバにおいて――ドミニカ共和国についてもやがてそうであろうが――、不信感がどんなに根深いものであるか、そしてこのようなやり方をすればあとになってどんなに大きな困難にぶつかるか、ということをわれわれはみせつけられた。その結果としてあらわれる影響は問題の国だけにとどまらない。われわれが専制と悪人を支持すれば、われわれが自由やきれいさや社会正義に無関心であるという印象を世界中にうえつけることになる。こういうことをしてはならない。正しいやり方と実際的なやり方とは一致するのである。
例によって目次、この目次は内容をきちんと紹介していてありがたい。
内容のメモもそれぞれ追記。
目次
謝辞
序論 リベラル・アワー
第一部、宇宙問題
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平和的競争の戦略
競走という美名のもとに、いろいろな提案が、それを好都合と考える人によってなされることを、警戒しなければならない。
われわれの最も偉大な業績は、経済的・社会的な実験および変化に対するわれわれの能力と、われわれの文化の多様性および自由とに依存するものである。
費用のことを口にしない人を信用せず、無視さえすることを学ぶべきである。
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機械の凋落
人間が機械に攻められて退却したのではなく、むしろ機械が人間の改善に大きく寄与するものになっている。それなのにわれわれの経済は、人間を改善するよりむしろ機械を供給するような仕組のままになっているのである。
3、経済学と芸術
芸術は経済にとって無用であると今でも主張している神話を拒否しなければならない。
4、インフレーションとその対策
賃金と価格決定の介入の問題に発展する。介入に際して守るべき原則は、1、限定的でなくてはならない。2、機構は単純でなくてはならない。3、安定を達成するための努力は、可能な限り妥協的な精神で行われるべきである。
第二部、歴史をいかに読み直すか
5、南北戦争とニューディール
アメリカ人にとって2つの大戦は歴史的な大事件とは言えない。それよりも、大恐慌と南北戦争が大事件であった。そのうち、大恐慌の方が、南北戦争よりも深い歴史的な影響が大きかった。
6、大恐慌の予防措置
持ち株会社、投機、国際収支に対して時宜を得た予防措置をとったならば、その後の不況は、もっと軽くてすんだであろう。
7、要人と買被り
民主主義における指導者とはせいぜい同輩中の首席にすぎないことを忘れまいと決心すれば、幾分か、買被りに対して治療になるだろう。
8、社会的ノスタルジヤ
われわれの政治論議の相当な部分はいつも昔の制度の讃美に捧げられている。ところがこうした制度は、たとえその復活が可能であったとしても、その主張者でさえその実現を
欲しないようなものである。自由価格制度、無制限の競争、州権の復活、金本位制、マックガッフィ読本に基づく教育等。
9、フォードはいかさまだったか
フォードは、容赦なく貪欲に自己宣伝をした。そしてかれは多くの人の努力を動員しては、自動車でなくて自分を売り込んだ。フォードがフォードの神話を作り上げるために意識的・本能的に努力を傾けたことを知らずにいたのは大衆だけである。かれは非常に謙遜な人であるかに思われていた。かれこそ、産業界における宣伝の所産としては最初の、そして最も成功した人であったのだ。
第三部、農村の思い出
10、破産のたのしみと効用
資本消費。破産への道を歩もうとしている人の貯蓄からもうけを得ている人たちは、相当の老年になってから独立の事業を始めて成功した人のことをかいている「フォーチュン」などから深い恩恵を受けている。私どもは、持ち主が出費したいろいろの宿屋で食事をとってきた。持ち主は都会の出身であった。どの持ち主もある程度の資本をつぎ込んで私どもにサービスしてくれた。
11、放棄された農場の経営
経営が成り立たないような農場への投資について、損得が分析される。
12、健全な影響
カナダの人たちのイギリス王家に対する感覚が分析される。ガルブレイスさんの子供時代をすごした土地のことを書いた「スコッチ気質」に登場したエピソード(あだな、酒場)なども登場する。
以下、おもしろい文章。
P226: 近所の人たちは、しかるべき労働もしないで暮らしている不動産業者に対して深い不信感を抱いている。