ロバート・D. パットナム 、孤独なボウリング

まずは、例によって目次を写します。

第1部 序論(米国における社会変化の考察)
第2部 市民参加と社会関係資本における変化(政治参加市民参加 ほか)
第3部 なぜ?(時間と金銭面のプレッシャー移動性とスプロール ほか)
第4部 それで?(教育と児童福祉安全で生産的な近隣地域 ほか)
第5部 何がなされるべきか?(歴史からの教訓―金ぴか時代と革新主義時代
社会関係資本主義者の課題に向けて)

2014年08月に読了。600ページはある分厚い本です。 原書は2000年に出ています。翻訳はこなれていて、判りやすい。

一昨年ぐらいから、行きつけのショートコースで一人でゴルフバッグを担いで、黙々と回られている、昔プロゴルファーを目指した方といっしょに回る機会が増えました。行きつけのコースは、自然とそんな仲間ができてきます。行きつけの居酒屋、定食屋さんもそんな感じです。この本のテーマは社会的資本(ソーシャル・キャピタル)。

キーワード: 社会ネットワークと、それに付随する互酬性規範。相互扶助・協力・信頼・制度の有効性。1960年代の都市計画家ジェーン・ジェイコブス。

この本のテーマは社会関係資本。米国社会の絆について分析した本である。宗教的、職業、ボランティアの章では、macher, schmoozer, 魂の交歓(The flow of Soul)などなど、興味深い。訳者のあとがきにはリースマン著「孤独な群衆」のことも載っていた。米国でも、組合の組織率の低下が起こっていた。米国の労働者は、一世代前よりも職場において満足度が増しているということはなく、おそらくはむしろ不満が増大している。なんてコメントがあるが、経済ニュースでこの手の議論を聞いたことがなかった。
以下少し、メモ。
仕事を基盤としたネットワークは、道具的な目的で使われることが多く、したがって、コミュニティー、社会的目的という価値をいくぶんか切り捨てている。女性の方が男性より熱心な社会関係資本家だ。見ることが増え、することが減る(日本でも、お祭りの写真をとっている方が、やるほうよりも多いという現象がある) 親切という単純な行為は、波及効果を持つのである。

翻訳者の「あとがき」にこうあります。
「孤独なボウリング」と共通の言葉を含む既刊書として、デビッド・リースマンの「孤独な群衆」のことを思い出される読者もおられるであろう。「伝統指向型」、「内部指向型」、「他人指向型」という社会的性格について論じた。「孤独な群衆」の出版は1950年のことである。それからちょうど半世紀の経過後、アメリカ人の「他人」との関わりについて膨大なデータをパットナムが提供した。 これらを併せて考察することも、知的興味をかき立てられることと思う。

この本にはフランス人、トックビルの1835年に出版した「アメリカの民主主義」の記述が良く引用されている。こちらもアメリカ人の政治家には良く読まれている本とのこと。 先日、後藤新平シンポジュウムで片山善博(元鳥取県知事、元総務大臣)さんが地方自治の観点から、読むことを勧めていました。トックビルの同書は、話題のトマ・ピケティーの「21世紀の資本」にも登場する。

社会的つながり(社会的資本)が、様々な生活のリスクを減じる議論には説得力があります。都市計画関係では古典となっている、ジェイコブスの1961年の著書「アメリカ大都市の死と生」の一部も紹介されています。
曰く:
20世紀の都市計画・再開発への取り組みを冷徹に批判する中で、近隣とのインフォーマルな接触を最大化するように設計された都市では、 街路は安全で、子供は手をかけられ、人々も環境に満足していると主張した。ジェイコブスにとって、近所の食品雑貨店での日々のやりとり、 軒先の家族、教区の区画を歩く牧師といったものは、街頭市や適切に街を仕切る公園の存在と同様に、地域住民の内に、持続性と、責任の感覚を育てるものであった

以下は、以前読んだ「アメリカ大都市の死と生」について書いたメモ。

アメリカ大都市の死と生(ジェイン・ジェイコブズ著、山形浩生訳、2010年4月30日第1刷(原著: The Death and Life of Great American Cities (Vintage, 1961)) 黒川紀章さんが、部分訳本を出していましたが、質が悪かったようです。

都市計画の用途規制が都市の活気を損なうといった論調です。皮相な形式主義を批判しています。 以下は、その引用ですが、ダイナミズムがどこにあるか示唆していておもしろい。
P270「アメリカの都市には、複雑に入り混じって相互支援を行う、いろんな種類の多様性が必要です。都市生活がきちんと建設的に機能するように、また都市の人々が社会と文明を維持(そしてもっと発展)できるようにするためには、それが必要なのです。公共体、準公共体は都市の多様性をつくり出す助けになる事業の一部を担当しています。――たとえば公園、博物館、学校、ほとんどの公会堂、病院、一部の職場や住宅。でもほとんどの都市多様性とは、公共の活動の正式な枠組みの外にある、思い思いのアイデアや目的、計画や企みを抱く膨大な数の人々や民間組織によってつくられたものです。都市計画とデザインのおもな責務は――公共政策と活動にできる範囲で――こうした幅広い非公式な計画、アイデア、機会が公共的な事業と共に繁栄できるような都市の開発であるべきです。一次用途、頻繁な街路、規模の似た古さのちがう建物の混在、人口の集中がうまく組み合わさっていれば、都市地区は経済的、社会的に見て、多様性が自然発生して最大限の能力を発揮するのに適した場所になるでしょう。」