古市憲寿、絶望の国の幸福な若者たち、講談社+α文庫、2015.10.20

古市憲寿、絶望の国の幸福な若者たち、講談社+α文庫、2015.10.20

先日読んだ「古市くん、社会学を学びなおしなさい」に同書が、たくさん引用され

ていたので、読み始めた。夏目漱石の「吾輩は猫である」のような痛快な文章に引き込

まれている。講談社から2011年9月に出されたのを文庫にするにあたって追記がなされ

ている。これも面白い。時代感覚を呼び覚ましてくれる。古市さんの著書は、「だから

日本はズレている」「誰も戦争を教えられない」を加えて4冊目になる。

たくさんの書物が引用されていて、それをすべてフォローしてみるのも一興だがとても

追いつかないけれど、何冊か読んでみようと思う。

読了。同書に出会ってよかった。たくさんの文献も出てくる。最後の中森明夫の解説と同じ印象をもった。「保育園義務教育化」も読んでみようと思う。

 

メモ:

P57、1955年に石原慎太郎(23歳、兵庫県)が発表した「太陽の季節」が芥川

賞を受賞、「太陽族」という、「太陽の季節」で描かれたような既成の秩序にとらわれ

ない行動やドライな感性が社会に衝撃を与えたらしい。石原慎太郎(78歳)は今とな

っては「若者には、自衛隊、警察、消防、青年海外協力隊といった、「人のために肉体

を酷使する」職業につかせて、一年間拘束すればいい。公に奉仕しながら心身を緊張さ

せることで、脳幹という感情を司る部分が鍛えられる」とご立派なことを言っているが

、当時の社会がいかに石原という「若者」にチャンスを与えていたか忘れているのだろ

うか。もちろん、わすれてると思うけど。

<よくぞ、言ってくれた。司馬遼太郎さんの晩年近くの文章は、ほめているものばかり

で食傷気味であった。こういった文章は、しがらみの少ない、これからの若者が書ける

のだろう。最も2015年の注釈には、別の個所に、ここまで、個人をけなすこともな

かった。との文章もある。著者はインタビューも巧みであるので、言い切っても、嫌わ

れないキャラクターを持っているのであろう。果敢に突っ込んでいったダウン・タウン

の快進撃をも連想させる。>

P206、<江戸時代と明治時代以降を対比させる形で認識していたが、加藤秀俊さん

のメディアの展開(2015)メディアの発生(2009)で、江戸と明治を断絶した

ものとでなく、江戸時代は前期近代として捉えるのが適切だと思うようになったそうだ

。この2つの本に出てくる日本各地を訪ねてみるのも面白い。>

 

P315、問題なのは、保険料や税金を払ってくれる現役層が減る一方なのに、同じペースでは高齢者が減ってはくれないことだ。<おもしろい言い回しだ>

P322、戦後すぐの日本は文字通り焼け野原の場所も多く、先行世代はその復興に生涯を懸けてきたといっていい。彼らのおかげか、時代のおかげか、ただラッキーなだけか、現代日本は歴史上未曽有の「豊かさ」の中にあるといっていい。

P322の注、 団塊の世代はじめ1945年生まれ以降の人々が物心つくころには焼け野原の整理もほとんど終わっていた。経済復興の中心を担っていたのは当時「戦後派」と揶揄されていた団塊の世代ではなく、それよりも前の世代である。

P357、戦後の経済成長は、日本を民主主義陣営にとどめておこうとするアメリカの対日政策、豊富な若手労働力を活用できる人口ボーナス、敗戦によって経済後進国になったため他国のマネをすればよかったことなど、いくつものラッキーが重なって可能になったことだ。

 <朝鮮戦争、中国の国共内戦と文化大革命、ベトナム戦争など隣国の不幸に救われたところも大きかったと思う。ディービッド・アトキンソンは、人口ボーナスだけを言っていた。>