J・K・ガルブレイス (著), 斎藤精一郎 (訳)、不確実性の時代 (上・下) 講談社文庫 1983. 6

(初出:1977)

 

P119:知的生産は、物的生産が変化するのに比例して、その性格を変える。各時代の支配的な思想は、つねに支配階級の思想だったのである。(マルクス)

 

P209:第二次世界大戦における1944年のノルマンディー上陸作戦の当日、米・英・加の兵士2491名が亡くなった。一方、第一次世界大戦のソンムの戦いの第一日、1916年7月1日には、イギリス軍兵士1万9240人が戦死し、あるいは負傷がもとで生命を落とした。

<イギリスのリメンバランス・デー(Remembrance Day、もしくはPoppy Day)は、1918年11月11日の第一次世界大戦終結の記念日。以下に多くの死傷者を出しイギリスに深い傷をもたらしたかが想像できる。>

 

P246:アメリカの植民地は代表権なしの課税に強く反対した。しかし、あまり知られてはいませんが、彼らは代議権付の課税にも同じく反対していました。

 

下巻:

P44:福祉のための支出と戦争のための支出の精神的な違い。大恐慌のさなかでは、失業者のためのごくささいな支出も、社会的に退嬰的で経済的には不健全と見なされてきた。それが、いまや兵器や軍隊のために何倍も多くの支出をしても、まったく問題はなかった。

 

P46:経済学ではずっと首尾一貫しているよりも、そのつど正しい立場をとるほうが、はるかに賢明。

 

P47:物価統制は苦痛をともなわざるをえない。大方は楽々とそれに耐えうる人たちから非難されるのは、若者にとっては心理的にこたえる体験だった。

 

P48:ケインズは、とうもろこしのことをcornでなくmaize、豚肉をhogsでなくpigsと書いていた。

 

P51:1947年まで制約なしにポンドとドルを(そして、金と)そのまま制約なしに交換できるようにするとなった。その結果、戦争中に交換できないポンドをためこんでいた投機家や闇市場の通貨相場師や銀行などが手持ちの貨幣をドルに替えようと殺到した。

 

P70:ジョン・フォスター・ダレスは1929年にはいかさまの典型的な狂い咲きともいうべきシェナンドンとブルー・リッジ・コーポレーションの役員を務めていた。

ダレスは本能的に人の上に立ちたがる性向を持っていた。正しいか間違っているかはともかく、自分の目的にたいする強い確信から、自らリーダーシップをとるばかりでなく、他からもそれを認められる。こうした資質が公的な成功を保証する。

 

P71:スコットランドの古い格言「マクリモンがすわるところは、テーブルの上席」

 

目次:

上巻

はしがき

1、予言者たちと古典的資本主義の約束

2、資本主義最盛期の行動と紀律

3、カール・マルクスの異議申し立て

4、植民地の思想

5、レーニンと大いなる解体

6、貨幣の浮き渋み

下巻

7、ケインズ革命

8、致命的な競争

9、大企業

10、土地と住民

11、大都市圏(メトロポリス)

12、民主主義・リーダーシップ・責任