斎藤美奈子、日本の同時代小説、岩波新書、2018.11
メモ:
p2:1960年代は日本国民の関心が「政治」から「経済」に移った時代です。
p5: 日本の近代小説の主人公は、概してみんな内面に屈折を抱えた「ヘタレな知識人」「ヤワなインテリ」たちでした。外形的にいうと「いつまでグズグズ悩んでんのよ」とドつきたくなるような性向を彼らはもっていた。
p16:西洋かぶれの桑原武夫は日本文学をそもそも見下していた節がある。彼が激賞するトルストイ「アンナ・カレリーナ」だって悲恋を描いた通俗小説といえなくもない。
p42:家長が威張っていられる時代は、やはり過去になったのです。
p44:明治20年代にスタートした近代文学はいよいよ終焉を迎えた。
p46:1970年代は、近代の限界が見えた、資本主義のほころびを突き付けられた時代。
p88:70年代は、前後をひきずるたくさんの宿題を返した時代だったのかもしれません。
p90:1980年代はそれまでの規範が崩れたところからはじまった、文化の爛熟時代でした。
p130:意外にも、バブルは文学も後押ししたのです。
P132: 1990年代は、世界の枠組みが大きく変わった時代です。
p157: 「進化の袋小路」進化しすぎた生物は、自分で自分の首を絞め、生活しづらくなって絶滅の道をたどるといわれていた。文学にも似たところがあり、進化しすぎた私小説が、内側に閉じこもりすぎて読者を失った。
p157: 80年代に一世を風靡したポストモダン文学も、進化しすぎて、90年代には行き場を失いかけていた。女性作家のポストモダンはジェンダーという媒介項が投入されている分、鮮度が高かった。しかし、男性作家は大変だった、のではないか。いまさら知識人批判でもあるまいし、文学の権威を否定したくてもそんなものはもうどこにもない。
p169:赤坂真理は「壮絶人生系」の本を批判している(2001)。<ここ数年、およそ希望と名の付くものが、一見それが欠落していると見える地点からもたらされている意味を、「普通」の人々は、感動するだけでなく、よく考えた方がいい。> <涙や感動の話はいまや消耗品である。> CF: 乙武洋匡「五体不満足」等、
p170 :タワケ自慢の私小説の系譜を継ぐ自伝がいつから「涙と感動」の物語になってしまったのか。
p172:90年代の日本は表向きはまだ平和でした。多様な作家や作品を生んだ小説の豊作期でもありました。漠然とした社会不安は、次の時代の小説に反映されることになる。
p174: 21世紀は波乱のスタートとなりました。9.11が世界を一変させたのです。
p195:イラクへ空爆が開始された2003年3月以降、主として若い小説家を中心に戦争小説が数多く書かれた。、、戦争は作家に「燃料」を与えた。タイプ1「戦時下の国」を描いた小説。「戦争に直面した人々」のリアルな姿。タイプ2「9.11やイラク戦争」を直接的、間接的に描いた小説。タイプ3「過去の戦争」に取材した小説。
p204:男たちがテロや戦争に興じている頃、女たちの戦いの相手は経済的な困難であった。
p218: 希望のない日常か、さもなければ戦争か。フィクションの世界は、とっくにその段階に入っていた。小説は弱者や敗者に敏感なのです。
p222:2010年代は「ディストピア小説の時代」でした。00年代から蓄積された不穏な空気が満タンになり、一気に爆発したようなものだった。
p226:資本の論理がむき出しになった21世紀初頭の日本は、労働争議が頻発した昭和初期、すなわちプロレタリア文学の最盛期と似たところがある。ブラック企業は一周回って、ついに真性のプロレタリア文学を生んでしまったのでした。
p236:老いを肯定的に描く玄冬小説は、いずれ青春小説に対抗しうるジャンルに成長する可能性を秘めています。
p240:結果的に震災は、おびただしい作品を生みました。作品化までの早さといい量といい、それはかつてのあらゆる事件、事故、災害を、凌駕するものだった。内容も形式も多岐にわたります。
目次
はじめに
1 一九六〇年代 知識人の凋落 P1
60年安保闘争と「政治の季節」の終焉
純文学をめぐる戦後の論争
文学は「ヤワなインテリ」からはじまった
私小説とプロレタリア文学をめぐって
エンターテインメント文学の成立と発展
私小説とエンターテインメントはどこがちがう?
知識人の権威が失われるとき
知識人予備軍の挫折
女子の目で「知識人」を眺めれば
「ポストプロレタリア文学」としての会社員小説
「ポスト私小説」としての旅行記
私小説を超えた「一族の歴史」
川端康成と三島由紀夫の死
2 一九七〇年代 記録文学の時代 P45
資本主義の矛盾と近代への反省
私小説的ノンフィクションの興隆
これは小説? ノンフィクション?
労働を一人称で書くノンフィクション
近代の検証に向かった歴史小説
少年少女時代の戦争体験を見つめなおす
戦争を検証する超大作の登場
戦中派世代の古典的上京青春小説
戦後生まれの作家の雑多な青春
「青春小説の大爆発」はなぜ起こったか
女性作家の前衛趣味
目がくらむような大作と超弩級の私小説
3 一九八〇年代 遊園地化する純文学 P89
ポストモダンと文化の爛熟
80年代を予告した青春小説
固有の路線を見つけた中上健児、村上龍、村上春樹
架空の国家の捏造に走ったベテラン作家 P100
閉じた世界ですべてが完結する物語
ポストモダンの時代に登場した作家たち
空前の少女小説ブームがやってきた
山田詠美も吉本ばななも少女小説の書き手だった?
再発見されたポストモダンな作家たち
タレント本で再編されたポスト私小説
日本語もおかしがる笑いの精神
4 一九九〇年代 女性作家の台頭 P131
昭和の終わりと混迷の時代のはじまり
超現実を操るー笙野頼子、多和田葉子、松浦理英子
現実と対決するー高村薫、宮部みゆき、桐野夏生
日常と非日常の狭間でー川上弘美、小川洋子、角田光代
少女小説・青春小説の多様な展開
OLや専業主婦がいた時代
アンチロマンな作家たち
ポストモダン文学はどこへ行く
燃料としての近代史、近代文学のリノベーション
勤労青年たちのプロレタリア的青春小説
壮絶なる人生だけがなぜ受ける
涙と感動の不倫小説が流行った理由
5 二〇〇〇年代 戦争と格差社会 P173
同時多発テロと新自由主義経済
インターネットから生まれたベストセラー
悲恋に走るケータイ小説と「セカチュー」
「私」をインストールする若者たち
バーチャルな敵と戦う若者たち
希望のない国のトレンドは殺人だった
心に銃を持った若者たちが暴走する
戦時下にある、もうひとつの日本
9・11とイラク戦争
異化される太平洋戦争
女たちの戦い、プロレタリアート文学
キャリアも結婚も遠い夢
私小説にも貧困の影が落ちていた
村上春樹も渡辺淳一も殺人(テロ)を肯定していた?
6 二〇一〇年代 ディストピアを超えて P219
東日本大震災と第二次安倍政権
ブラック企業が生んだ真性プロレタリア文学
職場を異化した、もうひとつのプロレタリア文学
少子高齢化時代の老人介護小説
あの作家も、この作家も介護小説を書いていた
2011年、第一撃後の震災小説
ディストピア小説に向かった純文学
被災地を描いた小説、文壇外から参入した小説
あっちもこっちも全体主義国
生殖がコントロールされた国
純文学のDNAは克服できるのか
国際化する日本語文学
わが道をゆくポスト・ポストモダン文学
ディストピアの向こうへ
あとがき