高橋泰隆著、中島知久平、日本経済評論社、2003.6.1
P222:
鳩山一郎は欧米的自由主義と平和主義を信じていたのであり、したがって戦時色が強くなっていた時局から、党の大勢から離れていった。大勢はいかに戦時体制にのるかに汲々としていたからである。
P223:
グルーは1932年6月特命全権駐日大使として着任し、太平洋戦争勃発後は抑留され1942年6月交換船で帰国した。
グルーの立場は、極力友好的姿勢を取り日本側の平和・穏健派が勢力を回復することを期待するものであった。
P235:
「超大型飛行機による大爆撃編隊によりアメリカ本土の製鉄所、アルミニューム工場、石油精製所また敵の大型爆撃機の基地を破壊する」Z機(富嶽)の構想。
P245:
中島飛行機の規模(1945.4.1)
工場数102
敷地面積 1076万9千坪
建物床面積70万4千坪
機械の数 3万735台
就業人員 25万人
目次:
はじめに P1
第1章 軍人志望の時代(陸軍軍人を志して P17
出奔 ほか)
第2章 海軍軍人の時代(海軍機関学校生徒 P59
一年生‐三号生(一九〇四年から) ほか)
第3章 中島飛行機の時代(飛行機会社の旗揚げ P133
民間飛行機メーカー第一号 ほか)
第4章 政治家の時代(一九三〇年総選挙に初当選 P179
中島知久平は革新派であった ほか)
おわりに P259