速水清孝、建築家と建築士、東京大学出版会、2011.8.28

注:“職能”という語は様々に定義されるが、本書では、「高度な技術を持つものとして果たすべき職能上の能力・意識・役割」といった程度の意味で用いる。

第一章 序論

1 はじめに

私は何かー 現代に生きる者たならきっと、自らのアイデンティティのありかについて、こんな問いをしたことがあるに違いない。 そして、高い専門性によって自ずと高い倫理の求められる職業に就く者にとって、それは必ず一度は通る儀礼にも似 た行為とすら言えるだろう。そうした問いは往々にして悩みにつながり、いささか馴染みのない言葉で、“職能の問題“などと呼ばれる。 建築家という職業にもそれがある。

建築家とは、建築の設計を生業とする者を指す際にしばしば用いられる称号だが、これがわが国では国家の定めた 合格の名称でないことは案外知られていない。せいぜい建築界にいる者が知る程度だろう。

国家資格ももちろんあって、それは、建築士、という。 この建築士が建築家と同義でないことは、建築家たちにとって、第二次世界大戦後、建築士法(昭和二五年法律第二○二号)。が制定されて以来の悩みであった。

いや、建築家たちの悩みはもっと前からあった。その職業の概念がわが国に自生したものでなく、明治に西洋から移植したものであったがため、それが何をする職業であるのかすら、長く理解されずにいたからである。移植した当初はともかく、西洋を習熟し、どうやら比肩する設計の現れた戦前、そして、その割合の増えた一九七〇~八〇年代、さらに、凌駕するものも目につくようになった二〇世紀末となっても、その状況にさして変わりはなかった。

建築士という資格ができて好転の期待された状況は、これによってむしろ複雑なものとなり、彼らの悩みは増した。 先に述べたように建築士が建築家と同義でなく、また世界に珍しい級別の制度(一級建築士・二級建築士)となった こともあって彼らが求めるより経験・力量の劣る者にも、さらには設計を生業とする者以外にも、資格が与えられる ことになったからである。

その違いを数で見るとどうなるか。それぞれの数は実は明らかでない。法定のものではない建築家ばかりでなく、 法定のものである建築士もこれまで把握されることなくいた。

そのせいか、「建築家と呼べるのはせいぜい二○○人だ」と放言する人も、ごく近年ですら、いた。それは、自分だけが建築家だ、との自負の裏返しに他ならないが、仮に建築家の集まりである日本建築家協会の登録建築家の数とするなら五○○○人。実際には倍はいるだろう。片や建築士は、登録者の数で言うなら100万である。 亡くなった方も多く、一級建築士として設計に携わるのは10万とも言われる。比べれば差は大きいものの、いずれにしても決して少ない数ではない。

建築士法の制定は,日本の設計者にとって、1つのメルクマールではあった- そうしたこともあって、建築家の職能として長く論じられてきたのは、純粋にその職業や倫理・果たすべき役割ではなく、まずは西洋の建築家とわが国の建築士の違いであった。続いて、違いのできた原因を、戦後間もなくできた建築士法に求め、あるいは戦前、前述の日本建築家協会の前身である日本建築士会が草した西洋を範とする同名の法案を引き合いに出し、法を彼らの望む形に改めない当局の無理解を嘆くものであった。

 

目次

第一章 

序論 1 はじめに 2 本書の構成

第二章 士法の議会、行政の士法

1 戦前の建築士法案――上程に向けて 2 議会と士師法案  3 帝国議会で問われたこと 4 建築士法案と計理士法 5 行政が建築士法に託したもの 6 戦前の建築士法案と成立した建築士法

第三章 建築士法の制定と建築代理士

1 建築代願人の誕生 2 代書屋から建築技術者へ 3 建築代理士条例 4 建築士法の制定と建築代理士  5 建築代理士から建築士へ

第四章 内藤亮一と建築士法と住宅

1 庶民住宅へ 2 建築士法の制定 3 建築行政官からの転身――都市計画、そして住宅へ 4 晩年

第五章 建設業法の主任技術者と建築士

 1 請負業取締規則の発生と技術者 2 伊藤憲太郎と主任技術者と建築士

第六章 市浦健と建築家法

 1 抜本改正に向けて 2 市浦健と建築家法 3 二一世紀へ

あとがき

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